ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(2014)

ジョナサン・ハイトは現代における政治思想や社会・文化,哲学などの領域において,しばしば引用される社会心理学者である.その著書である『社会はなぜ左と右にわかれるのか』における特に重要な成果は,道徳や正義心というものを6つの道徳基盤として提示したことである.

ハイトは道徳を味覚に例える.味覚には甘味や酸味,うま味などの異なる受容器があり,結果として総合的な味を形成している.同様に,道徳・正義心は次の6つの道徳基盤で構成されると仮定する.

1. <ケア/危害>基盤

この基盤が生まれた理由は「自ら身を守る方法を持たない子どもをケアすべき」という考えである.ホモ・サピエンスや哺乳類は1個体あたりの子どもを育てるのに高いコストを有する.そのため,脆弱で高コストな子どもを育てるために安全な環境を維持しなければならない.その結果として,「かわいらしい」ものをポジティブに捉え,保護し,ケアするような道徳基盤が存在し,暴力的なものに注意を払い,ネガティブに捉える道徳基盤が存在する.

米国におけるリベラルは保守と比べて,<ケア>基盤を重視する傾向にある.環境保護運動やアフリカの貧困に目を向けようとする行為は<ケア>基盤への訴えかけを行っている.

2. <公正/欺瞞>基盤

この基盤は「他人につけ込まれないようにしつつ,協力関係を結ぶべし」という考えによって生まれた.ホモ・サピエンスは自らが施した恩恵をいずれ返してくれそうな相手のみに親切な態度を示すことがある.いわゆるしっぺ返し戦略である.協力を実現するためにも「皆を助けるだけ」「もらう一方だけ」の戦略よりも多くの利益が得られやすい.信用に値する態度を相手が示せば,我々は喜びや友情を感じ,相手が自分を騙そうとしている,利用しようとしていると気づくと,怒りや軽蔑,嫌悪を感じる.これが公正基盤である.

米国においてリベラルは公正を平等として捉え,「ウォール街を占拠せよ」運動のように裕福な人々や権力者を非難した.一方で,保守はティーパーティー運動,つまり労働者から稼ぎを奪い,怠け者や不法移民に民主党は利益を与えようとすると非難する.右派の公正は比例配分,つまり結果ではなく,報酬が各人の貢献度合いに応じて配分されるべきと考えている.

これらはペテン師,怠け者,フリーライダーから共同体を守ろうとする道徳基盤であり,比例配分と因果応報を強く支持する.

3. <忠誠/背信>基盤

この基盤は「連合体を形成し,維持すべし」という考えで生まれた.忠誠心とは伝統的に部族主義の効果的な推進やグループ間の競争の処理に役立つものである.<忠誠>基盤は自グループと他グループ,または自グループ内の裏切り者を区別するのに有意義である.スポーツ心理の大部分はチームの一体感による高揚感による.背信者は通常,敵以上に忌み嫌われる.

政治においては,左派がナショナリズムから遠ざかり,ユニバーサリズムに向かう傾向があるが,この点で<忠誠>基盤を大事にする有権者にうまく訴えることができない.むしろ<ケア>基盤への依存が高すぎるために,政府に批判的になりがちである.これは<背信>と結び付けられることが多く,結果的に右派のサポートをしているように見えることすらある.

4. <権威/転覆>基盤

この基盤は「階層的な社会の中で有利な協力関係を形成すべし」という考えで生まれた.権威とは必ずしも抑圧的なもの,上位者による簒奪を意味しない.序列は諍いを調整する役割,暴力的な対立を鎮めるなどの社会的に有益な機能を持ちうる.<権威>基盤がやや複雑であるのは,上位のものからは保護を,下位のものからは忠誠を得るという二つの方向性があるためだ.階層性の下では,誰かが秩序を乱す行動に走ると直接被害を受けた人でなくてもそれに気づく.既存の秩序を守り,分相応な義務の遂行に責任を負う.

そのため,正当とみなされている権威に対して不服従,不敬,反抗することや安定をもたらすと考えられている伝統,制度,価値観を覆そうとすることは<転覆>と解釈される.<忠誠>基盤と同様,右派の方が階層性,不平等,権力に対して反対する立場を取ることが多い左派と比べて,この道徳基盤を味方につけやすい.

5. <神聖/堕落>基盤

この基盤は雑食動物のジレンマとして生まれたと考えられる.雑食動物は,新奇好み(ネオフィリア)と新奇恐怖(ネオフォビア)という二つの対立する衝動を抱えて生きている.この相違は人によって異なるが,リベラルはネオフィリアの傾向があり,食べ物,人間関係,音楽,ものの見方などが経験に対して開かれている.一方で,保守はネオフォビアの傾向があり,確実にわかっていることにこだわる傾向があり,境界や伝統の遵守を好む.このようなネオフィリア・ネオフォビアのジレンマは身体の接触や接近によって伝染する病原菌や寄生虫などの脅威を避ける必要があったためと考えられる.

<神聖>基盤は文化や時代によって大きな違いがある.何を神聖なものと感じるか,何を穢れと感じるかを一般化することはできないが,保守派は「生命の神聖さ」や「結婚の神聖さ」を強調するのに対し,左派は一般に貞節の美徳を古臭い性差別として片付ける.

宗教右派が最も<神聖>基盤を重要視してきたものの,宗教左派のデトックスやオーガニック食品は<神聖>基盤に基づく不浄の忌避を利用している.

6. <自由/抑圧>基盤

この基盤はホモ・サピエンスの自己家畜化のプロセスと大きく関係がある.機会さえあれば他人を支配し,脅し,抑圧しようとする個体とともに小集団を形成して生きていかなければならない.この課題に対応するために,支配に対する義憤を生み出す機構がある.その過程を通じて,支配者に抵抗し,反抗グループを形成する.

このような抑圧に対する憎悪は左右どちらの陣営にとっても認めることができる.より普遍主義の立場に立ち,<ケア>基盤に依存するリベラルは時に,権利の平等を通り越して,資本主義システムの下において結果の平等を追い求める.一方で,保守は経済的な保守主義の信条を支えている.「我々のビジネスを潰すな」「我が国を踏みにじるな」というわけである.

この6つの道徳基盤を眺めた際に,左派・リベラルは<ケア>,<自由>,<公正>の3つの道徳基盤に依存するのに対して,右派・保守は6つ全ての道徳基盤に依存している.また,リベラルは思いやりや抑圧への抵抗と矛盾する場合,比例配分としての<公正>基盤を進んで放棄することがある.一方で,保守は誰かが傷ついても,つまり<ケア>基盤を犠牲にしても,他の道徳目標を達成しようとする傾向がある.

これらが近年の米国民主党を悩ませてきた疑問「富の均等な再配分を重視しているのは民主党なのに,なぜ地方や労働者階級の有権者は,一般に共和党に投票するのか」を明らかにすることができる.

ハイトの『社会はなぜ左と右にわかれるのか』は2014年の書籍でありながら,その後も言及され続けている.特にこの6つの道徳基盤による概念整理は,なぜ米国でトランプ現象が起きたのかを説明する一つの論理を提供している.