ラグラム・ラジャン『第三の支柱』(2021)

社会を支える3つの柱がある.国家 (state) と市場 (market) ,そしてコミュニティ (community) だ.多くの文献が前者2つの議論に終始し,3本目の柱であるコミュニティについてはノスタルジックに語られるのみである.

本書では,世界中で経済的・政治的に懸念されている問題の多く,例えばポピュリストやナショナリズムの台頭,左派の急進的な運動などはコミュニティの縮小によって起きている問題ではないかと考察する.

3つの柱の定義

「国家」は一国の政治統治構造を指し,行政府に加えて立法府と司法府も国家に含める.

「市場」は経済において生産と交換を促進する民間経済構造全てを指す.財とサービスの市場,労働者市場,株式・債券といった金融市場を含む.

「コミュニティ」は規模に問わず,メンバーが特定の地域に住み,統治を共有し,共通の文化的及び歴史的遺産を有することが多い社会集団を指す.典型的なコミュニティは現代においては近隣社会(地方自治体など),中世においては荘園,古代においては部族を意味する.本書では,メンバーが近接して暮らすコミュニティを指す.つまり,バーチャルなコミュニティや国家規模の宗教団体を意味しない.

コミュニティの価値と課題

ワンクリックで誰とでも連絡が取れるこの現代において,なぜ隣人が重要なのだろうか?コミュニティの役割を考えてみる.まず,メンバーにアイデンティティの感覚を与える.居場所と帰属の感覚だ.しかし,それだけではない.

(1) 生き残り- 若者の訓練と社会化.コミュニティ内部でメンバーが価値観を形成・共有し,コミュニティの幸福を守れるようにする.若者は技能を教わり,規範と価値観を身につける.通過儀礼(これは現代にも存在する.大学のフラタニティ,法律事務所,研究大学,軍隊にも存在する)を通じて,コミュニティ内での資格を得る.

(2) 拘束力のある社会関係.緊密なコミュニティでは明示的な等価交換の取引は少ない.まずはギブが発生する.ギブ&テイクの繰り返しによって,コミュニティ内の人間関係が深まる.

(3) 取引の円滑化.コミュニティは人々の行動を監視し,ルール違反者を排斥して,コミュニティの支援から切り離すことで,内部の取引をやりやすくしている.

(4) 善意の促進と紛争解決.現代の法制度が利用できても,隣人同士がコミュニティの規範に沿って潜在的な紛争を解決する場合がある.その方が安上がりだからである.貸借りはお金よりも善意で決済されるため,残高がどのようになっているのか誰にもわからない.だからこそコミュニティが結束する.

このような仕組みによってコミュニティは個人を助ける.ノーベル経済学賞を受賞したオリバー・ハートはコミュニティの経済的価値を説明する.どんな契約も不完全な契約にしかなり得ず,契約コストや訴訟コストなどの取引費用を考慮すると,黙示的な責任と強制力を伴うコミュニティシステムの方が明示的な契約と法制度よりも低コストになりうるだろう.

では,機能不全のコミュニティが生まれる理由はなんだろうか?機能不全のコミュニティの根本的な特徴は無関心である.コミュニティが脆くなる別の要因はコミュニティが拡大することによって,選択の幅が拡大する時である.小さなコミュニティでは,助けた相手と自分の関係が継続するだけでなく,コミュニティの縮小は自身の暮らし向きにも影響を与える.コミュニティが大きくなると専門家が増える.それによりメンバーの選択肢は増加し,アクセスできる財とサービスの質が上がるが,メンバー同士の交流の幅は狭まる.よって,コミュニティの価値が再び減少することがあり得る.コミュニティが大きくなり,匿名性の増した取引が増加するとき,ここの取引の監視がうまくいかなくなることで,コミュニティが縮小してしまう.このようにコミュニティはメンバーを支援できるが,それは常にではなく,特殊な状況においてのみ有効に機能する.それはコミュニティのメンバーが自分自身よりもコミュニティとそのメンバーのより大きな効用に配慮するよう社会化されている場合,メンバーに強力には価値があると思わせるような余剰価値が人間関係に埋め込まれている場合である.一方で,コミュニティが直面している課題は外部からかかる遠心力である.

3つの柱の均衡を回復する

歴史的に国家はコミュニティをうまく支えていたし,それぞれはうまくやっていた.しかし,政府の官僚組織が専門家帝国を作り始め,その結果として地域の自主運営は減少し,コミュニティの政治参加は排除され,民主的監視の重要な支柱であったコミュニティは弱体化した.

ラグラム・ラジャンは3つの柱の均衡を回復させるために,包摂的ローカリズムを提唱する.グローバルな才能探し,出自がどうであれ居住要件を満たし,国の価値観に同意すれば,理論的に誰でも市民になれる.国家から地域コミュニティにより力を移譲することで,コミュニティ内で,結束した社会構造で暮らしたいという欲求を満たし,同じ文化や宗教の人々と暮らすことができるようになる.

ラジャンの提案は理想的であり,共感はする.具体的なコミュニティ再生の例がいくつも書かれている.方向性は同意したいものの,やはり実現可能性が低い印象を受けた.それは弱体化したコミュニティの強化が,単純な国家からの権力の移譲で実現するものなのだろうか?という問いだ.前半部におけるコミュニティはオストロムによるコモンズのような低廉な監視機能による低い調整コストやセーフティネットを中心とした議論に思える.一方で,後半はややそれを超えた地方自治体や行政機関レベルの内容をコミュニティが責任を負うことを求めているように感じた.このギャップが大きいのではないか.もう少し読み直しながら,議論を深めたい.